まえがき
木村・真鍋・安永・横田 共著「ファセット理論と解析事例」
ナカニシヤ出版(2002/9)

大阪大学 大学院人間科学研究科
狩野 裕

『ファクター(factor)からファセット(facet)へ』というルイ・ガットマンの提言から半世紀が過ぎようとしているが,今なおその重要性は変わらない.というより,因子分析など高度な反復計算が必要な多変量解析が,職場や自宅のパソコンで瞬時にできるようになった現在,ガットマンの提言は以前に比してより重要になったと言える.すなわち,分析後の解釈に重点をおくのではなく,ファセットにもとづく構造に関する事前仮説を重視し,仮説探索型ではなく仮説検証型の多変量解析を目指すべきだという考えである.

ファセットに基づく分析の第一の特徴は,質問紙の作成から分析結果までのいくつかのパターンを明示化したことである.実験計画法の考えを取り入れたマッピング・センテンスによる質問項目の作成と変数の分布の特徴的なパターン(例えば,Polar, Modular, Axialなど)への分類がそれである.分析者には,データ採取の前に分析結果が予想できるほどの事前検討が求められる.

第二の特徴は頑健な方法論の追求である.相関分析では,ピアソンの相関係数ではなく単調変換による非計量型の相関係数(単調性係数)を,回帰分析ではパラメトリックな方法ではなく中央値に基づく方法を,そして,単調性係数を用いた,最小空間分析(SSA)といわれる非計量型の多次元尺度法を採用している.そこには,質問紙調査の回答の多くが順序尺度であるにもかかわらず,便宜的に間隔尺度とみなしてパラメトリックな方法で分析することに対する批判も感じ取れる.第三の特徴は非線型 (intensity, closure, involvement)であるが,詳細は本文をご覧になられたい.

計量の分野において,仮説検証,頑健性,非線型という3つの特徴は21世紀を迎えた現在でも極めて重要なキーワードである.ガットマンが半世紀前にこのような概念に到着していたのは驚嘆に値する.また,真鍋氏が指摘するように,ファセットによって「人間行動の一般法則の定式化につながるデータ解析の枠組みが提示される」ことは,計算機の発展により従来の探索型多変量解析が簡単に実行できるようになったことに目を奪われていることに反省を促し,本来の進むべき方向である仮説検証型分析の重要性を再認識させてくれる.

探索的な分析に見切りをつけたという意味において,検証的因子分析を導入したJoreskogとの共通点を見出すことができる.Joreskog は因子に関する仮説を推定に活かすモデルを開発したわけであるが,その背後には,計算機の発達に伴って探索的因子分析の不安定さ(不適解など)が顕在化したことがあると思われる.彼は,因子分析モデルの基本は崩さず,伝統的な最尤法による統計的推測の路線にそって,検証的なパラメトリックモデルを構築し現在の構造方程式モデリングへと発展させた.それは洗練された方法論であったが,ファセットのような質問紙の作成からデータ解析までを含む一般的な枠組みではなかった.ファセットはモデルを用いた推測ではなく,あくまでも記述的な方法論の枠組みで検証的かつ頑健な方法を目指したものであると言えよう.

現在のところ,ファセットは数量化や対応分析,多次元尺度法や構造方程式モデリングと比してその知名度が高いとは言えないのは残念である.それにはガットマンがイスラエル人であったことが関係しているのであろうか.いずれにしても,ファセットは人間行動を理解することを目的とする研究分野においては欠かすことのできない定式化であり方法論である.ファセットの書物として世界的に名高いものとして Shye (1978, Theory Construction and Data Analysis in the Behavioral Sciences) があるが,近年 Borg and Shye (1995, Facet Theory: Form and Content) が刊行された.日本では真鍋一史氏と木村通治氏の活躍によってファセットが普及しつつある.そのような状況のもと,ファセットの理論と4本の応用事例を分かりやすく紹介した本書が上梓されることは時宜を得たものである.最終章でソフトウェアの解説がなされているのも親切である.応用事例として環境心理学と犯罪心理学での諸問題が扱われている.しかし,ファセットが適用できる分野は社会科学全般に亘っており,変わったところでは,因果推論に対する適用例もある(Mulaik 1987, Child Development, pp. 18-32).

本書は,実質科学者により洗練された方法--検証型の多変量解析--を提供するという観点において,心理学や行動科学を含む多くの社会科学における実証研究のための格好の入門書である.1971年,米国の有名雑誌であるScienceはルイ・ガットマンの尺度分析を20世紀前半における社会科学の"major advances"に選定した.上記で述べたようにガットマンの理論は21世紀になってより重要性が増したと言える.本書は,ガットマンの理論を包括的に理解するための唯一の邦書と言えるだろう.


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