統計数理研究所ニュース:研究紹介
多変量解析,そして統計学研究

統計学を研究するグループから,統計学の成果を使うことが目的の職場に移って4年になる.一見,大きな転換である.前統計数理研究所長の赤池弘次名誉教授は「統計学をテキストでしか勉強しないことは,水泳をハウツーものの本で勉強して泳げると錯覚するようなものだ」と理論統計学者を揶揄しておられたが,恥ずかしながら私は,4年前まで実際のデータを分析したことがなかった.

私の専門は多変量解析である.特に潜在変数モデルの研究と統計的推測のロバストネス(頑健性)の研究を行っている.多変量解析の大きな目的は次元縮小と因果構造の探求といってよい.現在では,この2つの目的を達するための最も頻繁に用いられる分析方法は,柔軟なモデル規定を許す構造方程式モデリング(SEM, 共分散構造分析),すなわち潜在変数モデルである.アンケート調査などではたくさんの質問がなされる.調査の目的は簡単な因果仮説で記述できることが多い.たくさんある質問項目をまとめて潜在変数化することによって次元縮小を図り,潜在変数を用いて因果仮説を実現し評価することで,調査の目的が達せられることになる.社会科学ではこのような質問紙調査とその解析が有用な研究手段である.

一方,社会科学で集められたデータは,多変量推測統計における基礎仮定である多変量正規分布から外れていることが多く,実験室内で管理されて採られるデータより非正規性の問題は深刻である.分布の仮定からの乖離は,分析結果をまったく信頼できないものにすることがある.多変量解析はしょせん記述的方法にしかすぎない,または,記述的方法に留めておくべきである,というのも一つの立場ではあるが,管理できないデータ,すなわちダーティなデータをどのように懐柔し推測統計の土俵にのせるかというチャレンジングな課題に取り組むのも悪くない.非正規分布や外れ値に対するロバストネスの研究はその端緒である.構造方程式モデリングの分野では,ロバストネスの研究はかなり進んでいると言ってよいだろう.最新の研究結果が市販のプログラムにすばやく組み込まれている.

筆者は1999年度から2年間,統計数理研究所に客員研究員としてお世話になっている.統計基礎研究系の江口真透教授と,多変量解析を含む一般的な統計モデルのロバスト推定に関する共同研究をする機会に恵まれた.筆者の仕事が遅く時間がかかったが,現在は研究結果をまとめる段階にきている.ロバスト推定は古くからの研究テーマであり,少なくとも40年の歴史がある.しかし,各統計モデルごとにロバストな推定方法が提案されるという研究が主で,統一的な方法論が確立されていないように思われる.すなわち,最尤推定法のような,統計モデルを決めれば尤度原理に則って統計的推測ができる,というような方法論がロバスト推定にはないのである.そのような動機から,各サンプルの想定した分布からの「ずれ」を尤度の小ささで評価し,それを当該サンプルの重みに反映させるというアイデアに基づいて,統計モデルが決まれば,ほとんど自動的にロバスト推定法が構成できるという方法論を構築した.過去に開発されたいくつかのロバスト推定法が,この方法によって導出されることが示されている.新しい統計モデルが開発されると,最尤法を,この方法を用いて自動的にロバスト化することができる.モデルによってはそのパフォーマンスが高くないかもしれないが,そのような場合でも,少なくとも比較のための reference にはなる.

応用研究に携わるようになり,そして,統計ユーザーを教育する立場になると,どうしても,データ中心の方法論者となってしまう.上記のような新しい方法論も,いつ統計ユーザーに使ってもらえるのか不安になってしまう.データありきの方法論研究は,理論と応用のバランスがとれるという意味で悪くない.応用の研究者と方法論者が互いに刺激し合って研究を進めていくのは学問の王道である.しかし,あえて応用と離れた理論研究の重要性も指摘しておきたい.学問はその広さも重要であるが,深さや理論体系の構築も重要である.筆者は数年前,推定量のよさの比較で5次の漸近有効性を議論したことがある.1次の漸近有効な推定量はたくさんある.差別化を図るため2次・3次とより細かい違いを追及していく.筆者は結局5次にたどり着いたわけであるが,その研究は多くの統計学者から酷評された.実務家は目もくれなかった.応用すべき状況がまったくないようなミクロの違いを議論しても,机上の空論だというわけである.その批判は当を得ている.

しかし,(すぐ)役に立つどうかはともかく,高次の漸近有効性の構造はどのようになっているのかという知的好奇心は大事だし,それを追求することで分からないことが分かってくる.深さのない学問は魅力がない.第三者に説明しやすい研究も大事だが,ロマンを求める研究テーマにも取り組んでいきたい.