質問はカッコ悪くない!!

                               人間科学部助教授 狩野 裕(行動計量学 8052)

「なぜ質問しないのか」に対する答えは自明である.それは,質問して解らないこと
が解るようになる利益よりも,質問することで受けるデメリットの方が大きいという
『誤解』があるからである.質問するメリットはその件についての疑問が解消したり
理解が深まることである.しかし,現状の大学では理解を深めなくても単位が出るこ
とが多く,質問するメリットにならない.質問することのデメリットの一つは,質問
する人は,時に変人扱いされることであろうか.均質な日本人の特性で,人と違った
ことをすると同類と感じてもらえないことがある.より大きなデメリットは,質問し
たことが理解できていなかったということを公表してしまうことにある.質問するこ
とは格好が悪いのである.大学で受ける講義では,解らないことや解ったか解って
いないかも不明なことにしばしば出くわす.その中にあって,こんな質問をしてもい
いのか,こんな質問をしたら格好が悪いのではないか,という疑心暗鬼がおこる.
高校時代の授業のほとんどが理解でき,自分が質問するときはそれなりの「かっこい
い質問」で,他人の質問の多くは自分はすでに理解していることであったという経験
が,疑心暗鬼に拍車をかけている.しかし,実は,自分が抱いた疑問の多くは,他の
学生も疑問に思っているか,まったく理解していないかの何れかであり,格好が悪い
ということはまったくない.

質問をすると講義の進行を妨げるからというモデストな人もいる.しかし,時間があ
り,教官が質問がないかと尋ねているのに質問が出ないということが多い.宿題を課
すと質問が増える.レポートを作成する際の助けにするための質問であるが,たいて
いの場合,講義が終わってから個人的に聞きに来る.教室でみんなの前では質問しな
いのである.

日本人は批判的見方をあまりしないという指摘もある.相手方の意見を素直に受け入
れてしまい,いわゆるクリティカルシンキングが不得手なのである.よい子とは,素
直で勉強がよくできる子である,とたたき込まれている.また,高校までの教育では,
教科書に書いてあることや先生の言ったことは絶対的であって,異議を唱えることは
よしとされなかった.特に文科系の科目で質問や意見がでない理由はこの辺りにもあ
る.

小学生の頃,「...についてどう思いますか?」という先生の問いかけに対して,
多くの生徒がわれを指名せよとばかりに「ハイ,ハイ,ハイ」と元気に手を上げてい
たことを覚えているだろう.その元気な生徒が,成長するごとにおとなしくなってい
く.そして,自分が理解しているかしていないかを,先生に悟られないようにする高
度なテクニックを身につけていく.大学に入学する頃には,完全な鉄仮面を演じるこ
とができるようになっている.大学入学までの受験戦争の中で,「解っていない」
ということを公表することのデメリットを極端に嫌うようになっているのではないか
と思われる.

「Q and A」は講義の中で大きな役割を果たす.教官が予想もしない質問がある.そ
のような質問は今後の教授方法に役立つ.講義中は寝ている学生も,誰かが質問し教
官が答えるという段になると結構聞いている.質問者と教官とがやり取りすること
で,その他の学生の理解も大いに深まる.それゆえ,「質問が出ない」ということは
大変由々しき事態である.質問内容がその場に相応しくないこともあり得る.しか
し,講義の中で答えるべき質問か講義終了後個人的に答えた方がよい質問かの判断は
教官に任せて欲しい.受講生は疑問をもったら,そのようなことを考えずに,どんど
んと質問して欲しいのである.

教官は質問が出るような環境を整えなければならない.「質問がなければ終わりま
す」というと質問は出ない.多くの学生は早く講義を終えたいからである.「質問が
なければ次のセクションに進む」というと質問が出ることがある.

私が行っている試みは,「講義の終わりに質問ができなければ減点する」と宣言する
方法である.85分の講義の後,残り5分を質問の時間に充てる.質問が出ればよ
し,出ない場合は受講生をランダムに指名して質問をしてもらう.そこで質問ができ
なければ平常点を減点するのである.講義の終わりには質問させられるかもしれない
というプレッシャーは,学生の受講姿勢を大きく変え,真剣に講義を聞くようにな
る.ただし,この方法は大人数のクラスではあまり効果がない.ここでも少人数教育
の重要性が指摘できるだろう.
                                                    kano@hus.osaka-u.ac.jp

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