「昭和の名将加島さん逝く」

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阪大卓球部 昭和52年入学 狩野 裕

「かのお〜,声出さんかあ!!」 特徴のあるソプラノの大声が体育館に 響き渡った.加島主将の声である.私が三回生になる直前の春合宿のこと であった.練習中は,球拾いの者もみんなで「ふぁいとおや〜」と声を出 すことになっている.集中力を高め部員間に一体感を醸成するためである.

狩野は少々怒っていた.あまりに「ふぁいとおや〜」の声が大きいので, ピン球の打球音が聞こえないのである.当時は異質ラバー全盛の時代だっ たので,打球音の識別は極めて重要な情報であった.とはいうものの,狩 野は声を出していなかったのである.

休憩時間になって加島主将は私のところにやって来て,「狩野,悪かった のう.みんなに声を出さそうと思ったら,おまえを叱るのが一番効果があ るんや」というフォローアップ.50名を超える部員を引っ張っていく に相応しいリーダーシップと心配りではないか.加島さんの主将ぶりを一 言で述べると,リーダーシップと包容力と言えようか.

加島主将が四回生の春のリーグ戦のこと.新江君という一回生の部員がい た.一回生はベンチに入らず観客席で応援することになっている.試合が 終わりミーティングが始まった.ミーティングをもつのは試合結果を反省 し次のゲームに備えるためであり,普通は試合に出場した選手についての 話になる.加島主将は,その場で「応援がすばらしかった」と観客席で応 援していた新江君を名指しで誉めたのである.異例のことであった.応援 に来てくれたイレギュラー部員の労をねぎらうことはあっても,個人を特 定して応援の仕方を誉めるなんてことは,当時もそれ以降も聞いたことが ない.加島さんは,卓球部の主将として多くのイレギュラー部員の一人ひ とりに気を配る名将であった.

加島さんの卓球は一見強そうには見えない.そして,得意の「死んだフリ 戦法」には相手の選手は大いに悩まされたのではないか.「死んだフリ」 であっても実は,加島さん自身高度に集中しているのである.狩野が三回 生で主将であったときの全国国公立団体戦での話である.加島さんは四回 生であったが,団体戦初優勝を狙うため加島さんにも出場してもらっていた.予選 リーグで長崎大学と対戦した.筑波大学以外には負けないだろうという自 信があったのだが,どういうわけか対戦成績2−2となり,ラストの加島 さんの結果で勝敗が決定するということになってしまった.相手は長崎大 学の準エースであった.試合は3セット勝負で,第1セットは調子がでな いのか加島さんは簡単に負けてしまい,第2セットはジュースで何とか 取ったものの,第3セットは 15-20 となり絶体絶命のピンチに追いこま れてしまった.そこであの独特のポーズ.あれだけ元気よく声を出し気力 十分で対戦していたのに,やや下向き加減で茫然自失したような雰囲気に なっている.われわれの周りには悲壮感が漂っている.しかし,あれよあれ よという間に 20-20 のジュースにもちこむことに成功する.そして今度 は,相手を圧倒する「よっしゃあ〜!!」の大声.結果は,7本連取の 22-20 の大逆転勝ちであった.このような大逆転劇は一度や二度ではな い.在阪国公立大会での対榎本戦でも同様のことがあった.加島さんの卓 球ぶりを形容するならば,集中力の高さ,ここぞというときの勝負強さ, 追い込まれたときの根性,と言えよう.余談だが,この年の全国国公立団 体戦は,決勝トーナメントで,関東学生ランカーを率いる筑波大学と大激 戦を演じ,2-3 で破れた.

加島さんはユーモアあふれる人物であった.それを証明する言動について は枚挙に暇がない.信州で行われる夏合宿への道程のことである.加島さ んはカリーナに乗っていた.古い車だったのでエアコンもパワーウインド ウも装備されていなかった.加島さんの車の横をカップルが運転する「窓 を閉めた」車が抜いていった.真夏のこと,エアコンのない加島さんのカ リーナは,もちろん窓を開けて走っている.ムカッときた加島さんは, (エアコン車に見せかけるために)おもむろにカリーナの窓を閉めたとい うのである.それも,パワーウィンドウが整備されている車のごとく,手 首だけで窓を閉めたというのである.ウィーンという音を口で出したかど うかは分らないが...

狩野は,加島さんとは大学一回生の後半からずっとダブルスを組ませてい ただいた.最後にダブルスを組んで試合をしたのはいつだったのかよく覚 えていない.加島さんが三回生(昭和53年)と四回生(昭和54年)の とき奈良県選手権でダブルス二連覇し,12月に東京で開催される全日本 選手権に2回出場した.その試合が最後のダブルスであったのかもしれない. あれから20年.平成11年3月に加島さんの訃報を聞くとは誰が予想し たであろうか.卓球というインターフェースの下で青春時代を共に過ごし, 狩野の最大の理解者であった加島さんを失ったショックはいまだ癒えてい ない.わがままで,態度がでかく,人の言うことを聞かない後輩をうまく 懐柔しながら阪大卓球部を率いた名将加島さんのご冥福をお祈りしたい.

未完