BOOK REVIEW
「柳井・岡太・繁桝・高木・岩崎 共編
「多変量解析実例ハンドブック」朝倉書店(2002/6)

理系への数学(現代数学社 2002年10月号)掲載

大阪大学 大学院人間科学研究科
狩野 裕

多変量解析とはどんな学問なのか.教科書的にいえば,データを解析することによって複雑に絡まった多くの要因間の関係を解きほぐすための方法を研究する学問ということになろうか.しかし,これでは何のことかさっぱりわからない.それもそのはずで,たとえば本書では,72件の分析事例が800ページにわたって紹介されているわけで,それを一言二言で理解しようなんて土台無理な話である.

数学は到着点の見えない学問である.環境を改善しようとか,冥王星までロケットを飛ばそうとか,介護ロボットを作ろうとか,遺伝子構造を解明して医学に活かそうとか,多くの学問は最終目的や典型的な応用が見えている.最先端に到着するには大変な努力を必要とするのであるが,目的がはっきりしているとがんばろうという気にもなるし,専門を第三者に説明もしやすい.ところが,数学は最終目的が見えないのであるから,数学を勉強する原動力は,数学の美しさに惚れたか,もしくは先達による「数学は必要である」という説得を鵜呑みにできる素直な人だけである.先が見えないということは学習する動機付けを失う可能性があるが,しかし,数学が重要でないということにはまったくならない.多くの学問が,大学で学習する数学を基礎として成り立っており,先が見えなくとも盲目的に勉強しなければならないことがあるのである.

大学に入学すると,数学では,解析学(微積分)と線形代数学(行列)を習うことになる.加えて,統計学や確率論の講義も開講されているかもしれない.大学の低学年で習う統計学は一つまたは二つの事柄に対する統計である.たとえば,自宅生と下宿生とで飲酒回数に違いがあるかとか,出身地が関西とそれ以外でたこ焼器を所有する割合が異なるか,というようなことをデータからどのように決するかを学ぶ.「多変量」解析はより多くの事柄間の関連を調べる学問なので,さらに難しくなる.解析学・線形代数学・統計学・確率論などは多変量解析を勉強するためには必須の道具であるから,しっかりと履修しなければならない.

科学とは因果関係の同定であるといってもよい.薬が効くということは,薬を服用する(原因)と病気が治る(結果)という因果関係が確立されていることをいう.ニュートン力学でもそうである.質点を落とす(原因)と1秒後には4.9m下落している(結果)ということが観察できる.原因があって結果があると考えることは自然であるが,一般に原因は一つではない.薬が効く(薬効)ということを立証しようとするならば,男女で薬効が異なるのか,年齢ではどうか,重症患者と軽症患者ではどうか,太っている患者と細身の患者ではどうか,というように考慮すべき要因は無数に考えられる.多変量解析は,どの要因とどの要因とが近いのか,どの要因が結果に寄与しているのかなど,多くの要因の関連を,専門知識とデータによって解明していく統計的方法論と言うことができる.一言つけ加えるならば,多変量解析は,要因が複雑に絡み合う人間行動の理解に役立つ方法でもある.

前書きにもあるように,本書は多変量解析の各手法が各研究領域でどのように使われてきたかを概観するために編集されている.そして,本書が扱っている研究領域は,1) 工学,2) 建築・土木・交通工学,3) 生物学・農学・人類学,4) 医学・歯学,5) 看護学・公衆衛生学,6) 体育学・スポーツ学,7) 経済学・経営学,8) 政治学・社会学,9) 心理学,10) 言語学・計量文献学,11) 家政学・文化人類学,と多岐にわたっている.また,キーワードとして引用された多変量解析の手法(カッコ内は引用回数)として,主成分分析(17),因子分析(14),回帰分析(13),クラスター分析(12),数量化III類(9),多次元尺度法(8),共分散構造分析(8),判別分析・正準判別分析(5),ロジスティックモデル(4),などが挙げられている. 多変量解析には100年にわたる歴史があるとはいえ,これだけ広範囲にわたって分析事例をそろえ,そして多種多様な分析技法を扱った書籍は他に類をみない.国際的に見ても本書が最初ではないだろうか.

本書によって未知の分析方法を学ぶことができるのは当然であるが,加えて,より深く学習したい読者にはそのための参考文献が用意されている.また,熟知している分析方法であっても他研究領域の適用事例が役立つことが予想される.それは,研究領域が異なれば適用の仕方,情報の取り方が異なるからである.

72の適用事例のすべてについてコメントすることは不可能であるしそのための紙幅もない.いくつかをピックアップして論評することは可能であったが,あえて見送った.読んでのお楽しみということにしたい.第73章は,編集代表者である柳井晴夫氏による文献研究である.多変量解析に関する国内外で出版された書物の紹介から始まり,各分析方法の発展の歴史や応用分野における発展が紹介され,最後に参考文献が年代順に10ページにわたってまとめられている.多変量解析について一般的な興味をもつ読者や,多変量解析の全体像を俯瞰したい読者は,まずこの章から読み始めるのがよい.豊富な内容を要点を落とさずコンパクトにまとめた文献として非常に価値があると言える.

本著を読んでみると日本の多変量解析のレベルの高さを実感することができる.そして,それを引き出すことに成功した5名の編者と70名を越える執筆者にあらためて"Congratulations"を贈りたい.


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