続・批判的精神に基づくセミナー回顧
-under provocation version-

筆者近影


過ぎたるは猶及ばざるが如し

セミナー実施以前から懸念していたことですが,テキスト・資料・レクチャーのいずれもがあまりにも充実「しすぎていた」と思います..当初から講義時間は2時間半とわかっていたのですから,あれだけの内容はいくらなんでも詰まりすぎです.加えて,それらを一切端折らずにしゃべった親切が災いして,おそろしく進行が早い! もちろん,ほとんどすべての内容がSEMを理解し,応用するためには必要なことなんだ!という思いは理解できますし,あれでも相当シェイプアップした結果なのだろう,とも思いますが,そういう推測ができる材料が参加者の誰にでもあったわけじゃありません.事前に講義を聴いていて,テキストも全部読んでいて,しかも例示された文献も読んでいる,という3条件が揃っていたからこそなんとかついていけた私ですが,他の多くの人は,テキストを予習することすらなく,いきなり大量の情報を短時間で処理する必要に迫られたわけですから,内容を理解する以前の段階で相当な困難を感じたのではないでしょうか.

もしこのセミナーの講師が狩野先生でなくて,よく知らない「統計のえらいひと」だったとしたら(このような前提では,そもそもセミナー自体に出ないという気も大いにしますが,とりあえず出るとして),きっと私は,

「ああ,なんかすごく頭のよさそうな分析やし,自分の研究もこういう分析をすればカッコええやろけど,さしあたりどうやったらええんか具体的にはちっともわからんかったわ.まあ,ああいうのは統計のえらいひとやからできるんであって,とりあえず私なんかにはできへん,ってことなんやろな.ええねんええねん.どうせ私,統計できへんもん.ふん.」
と思ってしまっていたでしょう.

これはちょうど,料理の鉄人が,豪華な食材を使って,最高峰のフランス料理フルコースを供してくれたとしても,それはゆったり楽しんで食べる(一緒においしいワインを飲んだり,同席者となごやかに会話をしたりしながら)からおいしいのであって,誰かにやれ食え,それ食えと無理やり口に押し込まれても,苦しいばかりで味も素っ気もない,というのと似ているんじゃないでしょうか?

ちょっとは「分かった」気にもなりたい

私が従前からしつこく志向しているのは,もっと interactive な講義をしてほしい! ということです.数式が出てこないだけでも統計学の世界では「革命的」なことなのかもしれませんが,やっぱり「実践」がないと,まだまだ「ユーザ向き」さ加減が足らないなあ.でも,これも狩野先生の純粋 lecture 志向とは咬み合わないんですよね...
たとえば前半部分を充実させるならプログラムデモをもっとたくさん入れるとか,後半部分だけなら参加者に実際にデータを持ってきてもらって(別にその役割を演じるサクラを配置してもいいわけです)その場でやってみせるとか,「要するに実際のところどうすんねん?」という疑問に答えてくださるととても参考になるのですが.
確かに,実践を取り入れることはユーザを安易に「わかったような気」にさせ,本人の手による実践を怠らせてしまう危惧もあるにかもしれませんが,少なくともただ「えらいひとのおはなし」を呆然と聴いているよりは「自分でもやってみないとな」という動機づけがより高まるのではないかと思います.

加えて,SEMの実践の際に痛烈に感じるのは,「講義を聴いてやり方を修得したつもりでも,実際にやってみるとちっともうまくいかず,結局混乱に陥る」ケースが多い(というよりほとんどがそう)ということです.どんな分析でもこの側面はあると思うんですが,SEMの場合は分析者の持つ自由度(=試行錯誤できる範囲)がヘタに広いだけに,それが諸刃の剣になっていているように感じます.講義で典型的「いいデータといい分析結果」ばかりを見せられていると,現実とのギャップがあまりにも大きくて心理的にもつらいです.上述とは違ったアプローチで「実践」をフォローする手段として,「いい分析結果」をひねり出すまでプロセスを,適度な根拠を示しつつ解説してもらえると,迷える子羊の私などはとてもありがたいんですが... 

さらに芸術の域を!?

今回に限らずいつものことですが,狩野先生の講義は, entertainment として,かなりのレベルの成功を修めていると思います(お察しの通り,私にしてみればこれも過剰サービス気味に思えますが).端的に言えば「おもしろい」です.だからこそ,あの超特急講義でも最後まで「我慢」して聴けたという側面はあるでしょう.「人に聞かせる気があるんか?」というセミナーだって多い中では,特筆すべきことだと思います.しかし,ここはひとつ entertainment に安住せずに,art の域まで高めてほしい,というのはそれこそ「過剰な期待」でしょうか? でも, entertainment では紫綬褒章はもらえても文化勲章はもらえませんからね.せっかくすぐれた素材(テキストや資料)を作られたのですから,我々参加者もそれをじっくり味わってみたいし,自分でも料理してみたいのです.くれぐれも,表面的な「おもしろさ」をまぶすことによって私たちの目をごまかすような,軽薄な entertainment には走らないでくださいね.